「済州4.3事件」受刑者335人に無罪…約70年ぶりに名誉回復
「済州4.3事件」受刑者335人に無罪…約70年ぶりに名誉回復
  • 徐台教(ソ・テギョ) 記者
  • 承認 2021.03.17 11:42
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韓国現代史に未解決の大きな傷跡として刻まれている「済州4.3事件」。2月に改正法が成立し、真相究明と名誉回復に拍車がかかる中、当時の軍事裁判を覆す判決が続いている。
16日の午後6時25分。済州地方裁判所の前で無罪宣告を喜ぶ『済州4.3遺族会』の人々。「6.25」は朝鮮戦争が始まった6月25日にも通じる。聯合ニュース提供。
16日の午後6時25分。済州地方裁判所の前で無罪宣告を喜ぶ『済州4.3遺族会』の人々。「6.25」は朝鮮戦争が始まった6月25日にも通じる。聯合ニュース提供。

●裁判所「二度と繰り返さない」

16日、済州地方法院(裁判所)刑事2部は、国防警備法違反および内乱実行などの嫌疑で「済州4.3事件」当時に収監されていた335人に対し、再審で無罪を宣告した。

今回の再審は、「4.3事件」さなかの1948年と49年に軍法会議(軍事裁判)で有罪判決を受けた人々を中心に行われた。軍法会議では当時、2530人が懲役1年から死刑に至る刑を宣告されたが、強要や拷問を通じ、罪をでっち上げたもので判決文など訴訟記録も残っていない。

335人のうち333人は、軍法会議で有罪判決を受け収監後に行方不明となった人々で、残る2人は一般裁判により有罪判決を受けた生存者だ。

収監された人々は拷問の後遺症などで獄死または、1950年6月に朝鮮戦争が勃発するや「北朝鮮スパイ予備群」と見なされ韓国政府により虐殺された。「行方不明」の実態だ。

※済州4.3事件とは

『済州4.3事件』とは1948年4月3日から54年9月まで済州島で続いた、島民と軍・警察との間に起きた闘いと鎮圧の過程だ。通称では『済州4.3事件』と呼ばれるが、今はまだ正式な名称がない。

当初は済州島の住民が「警察や右翼組織による弾圧への反対」や「南北同時選挙の実施」さらに「米軍政の拒否」を掲げ蜂起した。これに韓国政府が「焦土化作戦」と呼ばれる激しい弾圧を加え、住民を巻き込んだ殺戮劇が起きた。

その後1950年に朝鮮戦争が始まると、政府は「4.3」に加担したとされる人物を北朝鮮に協力する恐れがあると無差別に殺害しもした。7年7か月のあいだ、全島人口の10分の1にあたる25,000人から30,000人が亡くなったと推定されている。

事件についての詳細は以下のリンク記事をご参考に。

[アーカイブ]「済州4.3事件」70周年を迎えた韓国の今 -国家による暴力と分断を越えて
https://www.thenewstance.com/news/articleView.html?idxno=2937

この日、裁判所側は無罪を宣告する中で、「国として完全な形が整わない時期に起きた極度の理念対立の中で、被告人たちは命まで奪われ、その遺族は連座制という足かせの中で生きてきた」と述べた。さらに「今日の宣告により、被告人たちと遺族がかぶらなければならなかった束縛を逃れ、これからは安心して情を分け合って生きていくことを望む」とした。

裁判所側はまた、「私たちも二度とこんな出来事が起きないように決意する日にしたい」と今回の判決が韓国司法に持つ意味を強調した。

なお、この日の裁判は午前10時から午後6時過ぎまで21件に分けて行われる異例のものとなった。

●遺族会長は「最後まで寄り添う」

「済州4.3事件」は朝鮮半島がソ連と米国により南北で分割される中、米国による南側の軍政下で起きた出来事であり(韓国政府の樹立は4.3事件勃発後の48年8月15日)、理想的な朝鮮半島の形をめぐる市民の政治参加だった側面がある。

裁判後、遺族の一人パク・ヨンス氏は「今日の裁判を受けるため、あの世から来た330人あまりの人々の霊魂に礼を捧げようとしたが、裁判所の中では禁止されているため、代わりに黙礼を捧げる」と述べ、涙を流した。

パク氏はさらに、「無罪宣告を行った裁判所と、無罪を求刑した検察に心から感謝する。胸が震えてうまく言葉にならない」と語った。

無罪宣告を受け、喜ぶ「4.3事件」受刑者の遺族たち。聯合ニュース提供。
無罪宣告を受け、喜ぶ「4.3事件」受刑者の遺族たち。聯合ニュース提供。

韓国では2019年以降、再審の動きが進んでおり、今回の裁判まで合わせると371人が汚名をそそぎ名誉を回復したことになる。

『済州4.3犠牲者遺族会』のオ・イムジョン会長は聯合ニュースに対し、「4.3受刑者の名誉回復のためのきっかけを作ってくれた裁判所に感謝する」とし、「しかし未だ名誉を回復できていない犠牲者が多い。これからも今日のような無罪を宣告されるように努力する」と述べている。

オ会長の発言にもあるように、同事件の全容を明らかにする試みは今なお続いている。

2000年に『済州4.3事件真相究明および犠牲者名誉回復に関する特別法』が制定されたが、先月26日にはこれを全面的に改正した法案が国会で成立したばかりだ。前回の法案には含まれていなかった被害補償が明記されるなど、真の「解決」に向けた動きが加速化している。

こんな事実を踏まえてか、オ会長は「済州4.3特別法改定案が成立し、今後は4.3受刑者と遺族は法務部との協議を経て職権で一括再審もしくは、個別の特別再審を通じ名誉を回復できることになるだろう。ただの一人も疎外されないように最後まで寄り添っていく」と明かした。

 


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