元特殊部隊兵士が犠牲者市民の遺族に謝罪…41年前の「5.18光州民主化運動」鎮圧時に射殺
元特殊部隊兵士が犠牲者市民の遺族に謝罪…41年前の「5.18光州民主化運動」鎮圧時に射殺
  • The New Stance編集部
  • 承認 2021.03.18 02:54
  • コメント 0
記事を共有します

41年前、軍部のクーデターに反対して立ち上がった光州市民は、完全武装の特殊部隊により鎮圧されたものの、その犠牲は韓国の民主化運動に多大な勇気を与え、1987年の民主化実現をけん引する役割を果たした。「射殺命令」の出どころなど、未だ全容が解明されない中、当時の戒厳軍兵士が名乗り出て遺族に謝罪するという、大きな出来事があった。
17日に実現した、「5.18光州民主化運動」の際にパク・ビョンヒョン氏を射殺したA氏と、遺族であるパク・ジョンス氏の面会。A氏がパク氏に謝罪し、許しを求めた。「5.18民主化運動真相究明委員会」提供。
17日に実現した、「5.18光州民主化運動」の際にパク・ビョンヒョン氏を射殺したA氏と、遺族であるパク・ジョンス氏の面会。A氏がパク氏に謝罪し、許しを求めた。「5.18民主化運動真相究明委員会」提供。

●初めての「謝罪」

1980年5月18日から27日にかけ、韓国南西部の都市・光州(クァンジュ)市で起きた「5.18光州民主化運動」の際、全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる新軍部側の戒厳軍として住民を武力で鎮圧した元空輸旅団(特殊部隊)兵士が、射殺した市民の遺族を訪れ、謝罪と共に許しを求めた。

当時、前年12月のクーデターの仕上げとして全国に戒厳令を敷いた全斗煥は、民主化を求め立ち上がった光州(クァンジュ)市の市民を「掃蕩」することを戒厳軍に命じ、選りすぐりの完全武装の特殊部隊を投入した。

これに対し市民は市民軍を結成し対抗、道庁に籠城した一団が完全に鎮圧された27日までの10日間で、少なくとも165人以上の市民が亡くなった(他に不明者84人、実際にはこの倍近い死者が出たとされる)。

今回、謝罪を行ったのはこの時に空輸旅団に所属していたA氏。実際に住民を弾圧した兵士が犠牲者遺族に謝罪するのは、今回が初めてとなる。

17日、「5.18民主化運動真相究明委員会」が明かしたところによると、17日午後、光州市内の国立5.18民主墓地で、A氏は故パク・ビョンヒョン氏の遺族と面会した。

A氏は同委員会を通じ、遺族に過去の行為を告白すると共に謝罪したい意を伝え、遺族側がこれを受け入れるとしたことで実現したものだ。

A氏はパク氏の遺族に対し、「どんな言葉でも洗うことのできない痛みをもたらし申し訳ない」とし、「私の謝罪が別の痛みを与えるかもしれないと思った」と語り、嗚咽を漏らした。

遺族に対しクンチョル(韓国で目上の人に行う礼)を行ったA氏は「過去40年の間、罪悪感にさいなまれてきた。遺族に今からでも会って許しを請うことができて良かった」と述べた。

犠牲者の遺族に「クンチョル」を行うA氏。「5.18民主化運動真相究明委員会」提供。
犠牲者の遺族に「クンチョル」を行うA氏。「5.18民主化運動真相究明委員会」提供。

●遺族は「過去の痛みをすべて忘れて」

一方、A氏の謝罪を受け入れた故人の兄、パク・ジョンス氏(73)は、「遅くとも謝罪をしてくれてありがたい。死んだ弟にまた出会えたと思うことにする」と話し、「過去の痛みをすべて忘れて、胸を張って平穏に暮らしてほしい」としながらA氏を抱きしめた。

「5.18光州民主化運動」当時、25歳だった故人は、農作業を手伝うため故郷の宝城(ポソン)郡に向かう途中、巡察中だった7空輸旅団33大隊8地域隊に所属していたA氏により射殺された。

A氏は「5.18民主化運動真相究明委員会」の調査に対し、当時の様子について「巡察中に和順(ファスン)方面に向かって歩いていた若い男性2人が、私たち(空輸旅団兵士)を見て逃げたため停止することを命じたが、男性がおびえて逃げたため無意識のうちに射撃をした」と明かしている。

A氏はまた、「故人の死亡現場周辺には銃器や脅威になる物がなかった。隊員に抵抗暴力を行使した訳でもなく、ただおびえて逃げた状況だった」と当時を振り返っている。

こうしたA氏の証言は、民主化を求める市民を「暴徒」と位置づけ、「自衛のために必要な措置」「やむを得ず掃蕩せずにいられなくなった」と、弾圧を正当化した戒厳軍の主張を正面から覆すものだ。

今回の謝罪を実現させた同委員会は、今後も加害兵士と遺族の意思が一致する場合には積極的に面会を取り持ち、謝罪と許しを通じた“過去事(過去の痛ましい歴史を韓国ではこう呼ぶ)”の治癒に役立てる計画だ。

同委員会のソン・ソンテ会長は聯合ニュースに対し、「もう心の荷を降ろし、健康管理に気を付けて欲しい」としながら「当時、(市民弾圧)作戦に動員された戒厳軍は堂々と証言してくれることを願う」と呼びかけた。

なお、40周年を迎えた『5.18光州民主化運動』について、詳しい経緯とその歴史的位置づけを追った筆者の三本立ての記事は、以下のリンクから読める(『イミダス』サイトへのリンク)。

「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る
https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-141-20-06-g734
 

17日、国立5.18民主墓地を訪れたA氏とパク・ジョンス氏。同委員会提供。
17日、国立5.18民主墓地を訪れたA氏とパク・ジョンス氏。同委員会提供。

 


関連記事