[コラム] ミソジニーがはびこる世界を今日も生きている〜報ステCM炎上(古橋綾)
[コラム] ミソジニーがはびこる世界を今日も生きている〜報ステCM炎上(古橋綾)
  • The New Stance編集部
  • 承認 2021.03.26 21:31
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『報道ステーション』のWeb広告が市民の批判を受け、撤回に追い込まれました。何が問題だったのか、ジェンダー平等問題に詳しい、社会学者の古橋綾さんのコラムです。(編集部)

著者:古橋綾。大学非常勤講師。Chung-ang university 博士(社会学)。2011年から韓国の大学院に所属しながら日本軍「慰安婦」問題解決運動、米軍基地村女性支援運動、反性売買運動などに関わる。2018年に日本に戻った後は学校での性暴力事件の訴訟支援や困難を抱えた少女たちの支援を行っている。
批判を集めた『報道ステーション』広告動画のワンシーン。
批判を集めた『報道ステーション』広告動画のワンシーン。

テレビ朝日の夜のニュース番組「報道ステーション」のCM動画が批判を浴びている。動画は2021年3月22日に公開されたが、批判の声が相次ぎ、24日に番組は動画を削除し、謝罪文を公表した。

●「こいつ報ステみてるな」

動画は、若い女性が笑顔で誰かに話しかけるだけのシンプルな構成。15秒バージョンと30秒バージョンがあるが、30秒バージョンはこんな感じだ。

ただいま。なんかリモートに慣れちゃってたらさ、ひさびさに会社に行ったら、ちょっと変な感じしちゃった

会社の先輩、産休明けて赤ちゃん連れてきたんだけど、もうすっごいかわいくて

どっかの政治家が「ジェンダー平等」とかってスローガン的に掲げている時点で、何それ、時代遅れって感じ

化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ

それにしても消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね?

あ、9時54分!ちょっとニュースみていい?

テロップ「こいつ報ステみてるな」

短い映像から読み取れるキャラクターは、20代前半の社会人2~3年目で、恋人と同居していて、子どもにも美容にも関心があり、日常的にニュースを見ている女性である。上の引用は、抜粋ではなくセリフ全文である。前後の文脈がつながらず、何を言っているのかよく分からないと思われるだろう。正直言うと、筆者にもよく意味が分からない。

かわいい「赤ちゃん」を職場に連れてくることが普通と言いながら、「ジェンダー平等」を「スローガン的に掲げている時代遅れな政治家」を揶揄しているようだ。良い化粧水を買ったことを自慢しながら、消費税が高くなったことを連想する(とはいえ、消費税が上がったのは2019年10月。消費税が高くなったことに2021年3月の今気が付くってどういう状況…?)。

短い映像の間に、女性は、「もうすっごい」を2度繰り返す。「赤ちゃんがかわいい」のくだりでは軽く目を閉じて首を振りながら愛嬌を振りまく。甲高い声、乏しい語彙、愛嬌…。極めつけは、最後にテロップで提示される「こいつ」。

結局この女性は、「男性たちが抱く理想的な女性像」なのである。子どもを喜んで育て、美容にだけ関心があり、女性の権利などといって声を荒げることなく、「こいつ」と呼ばれて喜ぶ。世情に疎く、おしゃべりに文脈がない。女性をこのようにイメージすることにより男性たちは、自分たちの地位が脅やかされることがない。ミソジニーを驚くべきほど鮮やかに表現した映像だ。

番組が24日に出した謝罪文はこうだ。

今回のWeb CMは、幅広い世代の皆様に番組を身近に感じていただきたいという意図で制作しました。

ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとしたものでしたが、その意図をきちんとお伝えすることができませんでした。

不快な思いをされた方がいらしたことを重く受け止め、お詫びするとともに、このWeb CMは取り下げさせていただきます。

差別する意図はなかったけどそう聞こえたならお詫びする。日本で最近よく聞く論法だ。この謝罪に対し、SNS上では、全く謝罪になっていないという声があがっている。

謝罪とは、自らの過ちとその責任を認め、相手に許しを請い、人間関係における均衡を回復する行為である。自分は悪くなかったけど、そういうならお詫びするという態度は謝罪ではない。また、報道各社が今回の事態を報道しているのにもかかわらず、報道番組である報ステ自身はニュースという形でも、お詫びという形でもこの問題を扱わなかったという点も批判を浴びている。

あまり指摘されていないが、この謝罪文にも重大な問題がある。「ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にある」という部分だ。議論に終始するのではなく実践を求めるという意味なのか。全く現実に反している。すでに多くの女性たちが様々な現場でジェンダー平等に関する実践を進めている。

それを阻んでいる仕組みや制度を変えようと政治家たちが国会で問題を取り上げているから、ニュースになっているのだ。現場の女性たちも、そして政治家たちも「世界的に見ても立ち遅れ」ているジェンダー平等の問題を、まさに実践しているのだ。報道番組がそんなことも感じられていないのか、と、ほとほと嫌になってくる。

そしてもう一つ。リベラル紙とされている『朝日新聞』『東京新聞』の25日の朝刊で、このニュースを取り上げていたが、何が問題だったのかの解説をしていたのは両紙とも男性研究者だった。このニュースを解説できる女性研究者がたくさんいるのにもかかわらず、だ。どうして解説として女性研究者ではなく男性研究者を選んだのか。よく考えてほしいと思う。その選択こそがミソジニーなのだから。

五里霧中。私たちはミソジニーがはびこる世界を今日も生きている。


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