[コラム] ブレイブガールズの「チャート逆走」を見ながら(李官厚)
[コラム] ブレイブガールズの「チャート逆走」を見ながら(李官厚)
  • The New Stance編集部
  • 承認 2021.03.29 21:01
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(編集部)韓国の優れたコラムを紹介するコーナー。今回は政治学者・李官厚(イ・グァヌ、44)による『京郷新聞』のコラム(3月29日掲載)を同紙の正式な承諾を得て翻訳掲載する。

韓国では2月末から、『ブレイブガールズ(Brave Girls)』というガールズグループが話題をさらっている。デビューから5年目を迎えるも、なかなか売れない中で解散を決意していたところ、とあるユーチューバーの「まとめ映像」によりブレイクし、代表曲『ローリン(Rollin')』はその後ひと月以上のあいだチャート1位を維持し続けている。

背景には、同グループが以前から韓国軍での慰問公演を数多く行ってきたことが大きく作用しているとされる。徴兵制のある韓国軍で、同グループは「軍統領」と呼ばれるほど支持を得てきたことが、人気を支えているということだ。この出来事を背景に、李官厚氏は4月7日にソウル・プサン両市長選を控えた韓国政治を読み解いていく。

色々な事情で2年近く、毎週のように高速鉄道SRTやKTXを利用したが、その間にとても興味深い変化を経験した。以前にはお年寄りが大きな声で通話していたが、最近では主に若者がそうしているのだ。ある時は前の席に座った乗客のイヤホンのボリュームが大きすぎて気になったが、周囲を見渡すと他の人々は気にしない様子だった。私が短気すぎたか、と思っていたら、私以外の全員がイヤホンをしていた。

自分の耳では大きな音で好みのものを聞いているので、誰かが大声で通話していても問題がないということだ。車内では通話を遠慮してくださいという案内放送が聞こえるはずもなく、無用の長物となっている。事情は地下鉄でもバスでも同じだ。こんな風景こそが、私たちの政治状況をそのまま表しているように思えた。

政治学者バーナード・クリックは、政治を「他人の話を聞くこと」と定義した。ここで言う’他人’とはもちろん、「私と別の考えを持つ人物」のことだ。だが最近、私たちの政治は、私と考えが同じ人の話ばかりを聞く。こんな状況では、政治がうまくいかないのではなく、政治が存在しない。

こんな政治の空白状態が続く場合、人々は白馬に乗ってくる超人を待つことになる。新型コロナウイルスの拡散が長引く中、世界的にも民主主義よりカリスマ的なリーダーシップを望む市民が増えているという。今、韓国の国民が好む次期大統領選の候補たちも、こんな傾向と無関係ではなさそうだ。

韓国の政党は、どこも「これかあれか」、「こっち側かあっち側か」という二分法で政治を両分してきた。自分たちの側の失敗を指摘する者や、対話と妥協を説く者は裏切り者やどっちつかずの人物として扱ってきた。それで済んだ簡単な世の中だったこともあった。だが今の時代は違う。政治は善良な味方が悪い奴を追い出す童話ではない。正解が存在するのではなく、様々な政策の中からより良いもの、人々が合意できるものを探すことこそ、今の政治がすべきことだ。

二分法では解決できない問題と世の中を、二分法的に解決しようとするのはまさに時代錯誤的だ。巨大な政党はもちろんのこと、進歩政党が見せる姿も大差があるようには思えない。こんな現象を政治学者キム・ウォンは「長期80年代」と称したことがあるが、その被害は「延期された未来」の時代を生きる、現在の人々にそっくりそのまま残される。

二分法的な政治の副作用は、最近の選挙で見られるような「暴言」ではなく、「政策の失敗」として表れる。朴槿惠政権における問題は、派閥間の争いと側近たちの「地代追求(レントシーキング、政治ロビーにより企業が不当に利益を得ること)」ではなく、それに依る‘政府の無能’だった。

文在寅政府の問題は「彼らよりはマシ」という確信がもたらす政策の失敗に対する鈍感さだった。不動産政策が明後日の方向に向かっている時、公正が能力主義に収斂されてしまう時、検察改革が尹錫悦(ユン・ソギョル、前検察総長)の追い出しに変質する時、イヤホンを挿した人々には何も聞こえなかった。

李官厚(イ・グァヌ)慶南研究院研究委員。写真は京郷新聞提供。
李官厚(イ・グァヌ)慶南研究院研究委員。写真は京郷新聞提供。

「ブレイブガールズ」の歌「ローリン」がヒットチャートを逆走している。兵士たちがイヤホンを挿していたならば不可能な出来事だ。TWICE、少女時代、Red Velvetが掌握したイヤホンの間に、ブレイブガールズが割り込む余地はなかっただろう。

このチャートの逆走を見ながら、カセットテープとCDがあった時代を思い出した。当時はよく、チャートの逆走が起きた。売りたい歌を出す際には、特別でない歌も一緒に売られなければならないが、ある瞬間、B面に収録された歌がチャートの先頭に踊り出る場合が少なからずあった。音楽を供給する人たちでなく、それを聞く多数の大衆が勝利する方式だ。そしてこれが政治と民主主義が作動する方式だ。かなり痛快なものがある。

歌ならばイヤホンを通じて聴いても良いだろう。しかし世の中は、とりわけ政治は異なる。イヤホンを外してこそ、他の人々を意識し、世の中における自身の存在を知ることができる。いつも同じ歌だけを聴いている人は常にそれだけを口ずさみ、世の中の人々の趣向と好みが自分と同じものと思い込む。

新型コロナにより、そんな症状がよりひどくなる他になかった点は、それでも理解できる。政治家というのは無理矢理呼ばれた行事と慶弔事の中で、耳が痛い言葉を聞かなければならない人たちだが、昨年4月の総選挙以降の一年間は言い訳には事欠かなかった。そして今、その代価を払っている。

政治が「彼我の戦争である」という言葉は、そうあるべきだという事ではなく、真実の討論が姿を隠し民主主義が形式的な「殻」に転落した現実を批判するものだ。選挙期間はいくらも残っていないが、残る時間だけでもイヤホンを外して国民の声をよく聞くことを願う。(了)

著者紹介:李官厚。西江大学政治外交学部、同大学院修士課程卒業後、英国University College Londonで政治学博士を取得。西江大学現代政治研究所研究教授などを経て現在は慶南研究院で研究委員を務める。過去、2人の国会議員の下で合計6年間のあいだ補佐陣を務めた経験もあり、陣営論に捉われない発言で知られる。


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