この記憶はその後、1987年に韓国民主化を実現する勇気を市民に与えたものの、戒厳軍による銃撃指示を誰が出したのか、ヘリ射撃の実態は何かなど、明らかになっていない部分は少なくない。そんな中、中央情報部として当時の鎮圧作戦に関わった現・国家情報院が資料の公開を積極的に続け注目を集めている。

●4度目の提供、「初の発砲」解明に貢献か
韓国の情報機関・国家情報院が5日、1980年の「5.18光州民主化運動」当時、デモの現場に車輪型装甲車が投入される様子や学生達が連行される姿を収めた写真などの関連記録を、同運動の真相究明を進める「5.18真相究明委員会」に提供した。
国家情報院がこの日提供した資料は、総ページ数1242ページにのぼる記録物22件と、写真204枚だ。既に昨年8月と11月、今年2月の3回に分けて、記録物79件、文書5646ページ、映像1件、写真1枚が同委員会に渡されていた。
今回の写真のうち、車輪型装甲車の写真について同委員会は「『5.18光州民主化運動当時、(戒厳軍による)最初の発砲が光州高の前の道で、車輪が壊れた車輪型装甲車から行われた』という陳述と文献の内容を裏付ける資料としてとても大きな意味を持つ」と評価した。
別の写真には、デモに参加した学生たちが空輸部隊(デモ鎮圧に投入された最精鋭の特殊部隊)により頭を地面に押しつけられたまま座り、連行される姿もあった。

国家情報院は他にも、当時、中央情報部(国家情報院の前身)が国内の各分野の動向を収集し作った報告書や、当時の国内状況を報じた海外メディアの記事および外国情報機関の反応を集めた報告資料も今回提供された資料に含まれると、報道資料を通じ明かしている。
こんな国家情報院の動きの背景には、昨年7月に国家情報院長に就任した朴智元(パク・チウォン)院長の積極的な意志がある。同氏は就任直前の人事聴聞会で「国家情報院が5.18に介入した資料があれば必ず公開する」と明言し、これを実行してきた。歴代の国家情報院長と大きく異なる姿勢だ。
国家情報院は昨年11月の資料提供時にも、「5.18真相究明に少しでも助けになり得る資料をすべて発掘し、先制して支援するという朴院長の意志がある」と説明している。
現在、国家情報院は内部に「5.18光州民主化運動関連記録物検索タスクフォース」を結成し、「5.18真相究明委員会」によるキーワードを指定した検索要請に応える形で、支援を続けている。これまで、存在が隠されていた戒厳軍による市民へのヘリ射撃の目撃談などが含まれており、今後の真相究明の足がかりになるものと期待されている。