市内は一時解放区になり市民軍が結成されるなど民主主義が花開いたかのように思われたが、一方で軍は戦車やヘリで応戦、通信や交通が遮断されるなど光州は孤立した。そして27日早朝、全南道庁に最後まで立てこもった市民軍が鎮圧され、幕を閉じた。
そして「光州5.18民主化運動」から41年後の今年、鎮圧直後の全南道庁内部の写真が韓国政府により初めて公開されることとなった。

●倒れたままの市民軍の姿
6日、韓国・文化体育観光部傘下の旧全南道庁復元推進団(以下、推進団)は、今月7日から7月31日まで、旧全南道庁別館2階で、41年前の当時、『アジア・ウォールストリート・ジャーナル』紙の記者だったノーマン・ソープ(Norman Knute Thorpe)氏が撮影した写真などを展示する特別展を開くと明かした。
展示会では、同記者が1980年の5月23日から27日まで撮影した写真と、当時の記者証、使用したカメラなどの希少な資料200余点が公開される。
推進団は今企画の背景について、「5.18民主化運動の価値を共有し、国民と共に(全南道庁の)復元作業を推進するため」と説明している。
今回公開された写真の中には、27日早朝、戒厳軍が市民軍の最後の砦となった全南道庁を鎮圧した直後の姿を収めたものが含まれている。特に、命を落とした市民軍(韓国では‘烈士’と表現される)の遺体が倒れたままになっている姿を捉えたものがあり、初公開の「重要な記録」(推進団)となっている。
当時、戒厳軍側は午前7時半に外信メディアに全南道庁を先に見せた後、韓国メディアには午前9時から取材を許可したことで知られている。同記者は午前7時50分に最も早く全南道庁入りしたことで知られている。
展示会では、ノーマン・ソープ記者の取材メモと合わせ写真が時系列順に公開される。一方、27日の道庁鎮圧直後の写真は、遺族の同意の下に「特別映像室」を設置し、死者の位置、名前、移動の様子などを映像で再構成し公開する。
推進団によると、同記者は今回、「5.18」当時のビラ、声明書、外信記者証などを韓国政府に寄贈した際に、「5.18民主化運動は韓国の民主化に向けた長くも長い闘争の一部分です。前の世代が自由選挙を確立し民主主義を花開かせようと、どれだけ多くの困難を受けてきたのか、今の若い世代が学び、心の底から感謝することを願います」とその趣旨を明かしたという。
また、今回の写真の所在を推進団に知らせた李在儀(イ・ジェウィ)5.18記念財団研究委員は、「当時の鎮圧作戦直後の道庁の状況を、もっとも生々しく知ることができる貴重な資料だ。今後、旧保安司(軍の情報機関)など軍当局が道庁の現場の様子を記録したと推定される写真資料も早く公開されて欲しい」と推進団に語っている。
41年前に起きた「光州5.18民主化運動」は鎮圧されたものの、その「光州の精神」は広く市民へと受け継がれ、ついに民主化を勝ち取った1987年6月の「6月抗争」の原動力となったことで知られている。本紙では今後、直接光州を訪れ取材する予定だ。
なお、「光州5.18民主化運動」の一部始終については、本紙・徐台教が『イミダス』に寄稿した以下の記事が詳しい。
「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)
https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-141-20-06-g734

