[全訳] 第103周年3.1節記念式 文在寅大統領演説(2022年3月1日)

尊敬する国民の皆さん、
海外同胞の皆さん、
ついに国民の側に屹立することになった大韓民国臨時政府記念館で
開館とともに103周年3.1節記念式典を開くことになりとても感慨深いです。
この100年、私たちは3.1独立運動と臨時政府が夢見た民主共和国を築きました。
すべてが自由、平等で抑圧されない国、平和で文化的な国を作るために休まずに走ってきました。
3.1独立運動と大韓民国臨時政府は祖先たちが私たちに残してくれた偉大な遺産です。
民主共和国の歴史を記憶し称えることは、今日の民主共和国をより堅固にすることです。
私は就任初年度の光復節記念演説で大韓民国臨時政府記念館の建設を約束したのに続き、
その年の中国訪問の際、大韓民国大統領としては初めて重慶大韓民国臨時政府庁舎を訪れ、臨時政府記念館の建設を先烈たちに誓いました。
その約束と誓いがついに実現しました。
3.1独立運動の精神と臨時政府の歴史、自主独立と民主共和国の自負心を国民と共に称えることができるようになり、とても意味深いです。
記念館の建立に長い間努力されてきた臨時政府記念事業会とキム・ジャドン会長、
記念館建立委員会とイ·ジョンチャン会長、光復会、独立有功者、独立有功者の子孫たち、大切な資料を寄贈してくださった方々に深く感謝いたします。
大韓民国臨時政府記念館は、西大門独立公園と向かい合っています。
今日、苦難に屈しなかった独立運動家と先烈たちの魂が、臨時政府記念館と3.1独立宣言記念塔、殉国先烈追念塔を喜んで迎えているようです。
臨時政府記念館には、3.1独立運動の喊声が込められています。
風餐露宿しながら、国の独立に一生を捧げた志士たちの愛国心が込められています。
私たちは、民主共和国・大韓民国の根を決して忘れません。
国民の皆さん、
私たちの歴史は平凡さが集まり偉大な進展を遂げた真の民主共和国の歴史です。
1919年3月1日、名も無き人々が集まり太極旗を手に取りました。
万歳の声があふれる街で、自分のように解放された世界を夢見る人に会いました。
非暴力の平和的な抵抗が新しい時代を切り開けることを示しました。
独立の喊声は鴨緑江を渡り太平洋を越えて全世界に響き渡りました。
北間島と西間島、沿海州からハワイとフィラデルフィア、サンフランシスコで万歳の声とともに太極旗が翻りました。
祖先たちは植民地の民から民主共和国の国民へと自ら立ち上がりました。
その年の4月10日、ソウル、満州、沿海州、アメリカ、日本から来た民族の代表的な独立運動家が中国上海に集まり大韓民国臨時政府を樹立し、
臨時議政院を構成し、国民が民主共和国の主人になったことを宣言しました。
民主共和国・大韓民国が誕生する瞬間でした。
「私たちの運動は主権だけを求めるのではない。韓半島の上に模範的な共和国を建て、二千万が天然の福楽を享受できるようにすることだ」
安昌浩先生は臨時政府の内務総長に就任しこのように述べました。
1941年、臨時政府国務委員会は「大韓民国建国綱領」を発表し、光復後の新しい国についての構想を提示しました。
政治・経済・教育・文化において均等な生活を享受する民主共和国が目標であることをもう一度明言しました。
私たちは過去100年、その目標を一つ一つ成し遂げました。
植民地と戦争を経験した貧しい国、大韓民国は清渓川の小さな作業場で、ドイツの見慣れぬ炭鉱や病院で、
砂漠の炎天下や全国各地の産業現場で、国民一人一人が流した汗により先進国になりました。
通貨危機をはじめ、多くの国難も危機の中でもより団結する国民の力で乗り越えることができました。
釜山と馬山で、五月の光州で、六月の広場とろうそく革命まで民主主義を守り抜いたのも、平凡な国民たちの力でした。
私たちの政府もまた、国民の力で誕生しました。
名も無く犠牲になった方々の名前を見つけ出し、評価されなかった方々に名誉をお返しすることを当然の責務と考えました。
去る5年間、2,243人の独立有功者を探し、褒賞しました。
その中にはきちんと評価されてこなかった女性独立運動家245名が含まれています。
まだ子孫を見つけることができず、勲章をお渡しできない独立有功者も多いです。
政府は最後の一人まで独立有功者とその子孫を探し出すため努力します。
異域に埋葬されていた独立有功者の遺骨返還にも力を注いできました。
2019年、中央アジア・カザフスタンからケ・ボンウ、ファン・ウンジョン志士を夫人と共に奉還し、
2021年の光復節には、洪範道(ホン・ボムド)将軍の遺骨を故国に奉還しました。
政府は生活が困難な独立有功者の子孫に生活支援金を支給しながら、国家有功者の名札を自宅におかけしています。
昨年末まで独立有功者と国家有功者46万人の家庭に名札をおかけし、今年も10万の家庭に名札をおかけします。
平凡な隣人が独立の英雄という事実は地域社会にも誇りを植え付けてくれるはずです。
政府はこの5年、危機の克服と共に未来に向けた挑戦を続けてきました。
日本の輸出規制に対抗し素材・部品・装備を自立化する道を開拓しました。
危機克服を越え革新と成長を率いる動力を国民たちと一緒に作り出しました。
国民の成熟した市民意識は新型コロナのトンネルを突き進む立役者でした。
防疫の成果を基に昨年、韓国経済は4%の成長率を達成し、一人当たりの国民所得3万5000ドル時代を開きました。
ジニ係数、五分位階級別所得状況、相対的貧困率など3大分配指標がいずれも持続的に改善され、「危機が不平等を広げる」という公式も打ち破ることができました。
厳しい環境の中でも献身してくださった医療陣と防疫関係者、黙々と共同体の日常を守ってくれたエッセンシャルワーカー、
誰よりも困難が大きかった小商工人や自営業者、日常の不便に耐えてくださった国民たち、皆が危機克服と新しい大韓民国を開く主役です。
深く感謝いたします。
私たちは幸せになる資格がある国民です。
国民みなの努力が無駄にならないよう任期が終わる瞬間まで最善を尽くします。
国民の皆さん、
私たちはもう誰も侮ることのできない富強な国になりました。
世界が公認する先進国になりました。
何より胸が一杯になるのは、大韓民国が水準の高い文化の国になったことです。
3.1独立宣言書で先烈たちは、独立運動の目的が「豊かな独創性を発揮して輝く民族文化を結び」、「世界文化に貢献する機会」を持つことにあると明かしました。
大韓民国臨時政府の主席、白凡・金九先生も「ただ限りなく持ちたいのは文化の力だ。文化の力は私たち自身を幸せにし、ひいては人に幸せを与えるからだ」と言いました。
はるかな夢のように感じられたことです。
しかし今日、私たちはやり遂げています。
韓国の文化芸術は伝統と現代文化を韓国という器に一緒に盛り込み、新たに変化させました。
一世紀前、先烈たちが望んだ夢を実現し、世界を感動させています。
K-POPに代表される韓流が世界を覆っています。
BTSの熱風について<フォーブス>は「新しい標準」と言いました。
映画「パラサイト」はカンヌ映画祭とアカデミー賞を席巻しました。
ゲーム、ウェブトゥーン、アニメーションが世界から愛され、<イカゲーム>など私たちのドラマが連続してホームランを打っています。
西洋のクラシック音楽とバレエのような分野でも、韓国人の才能が世界の激賞を受けています。
各分野の文化芸術家の情熱と魂が調和した結果です。
韓国の文化芸術をこのように発展させた力は、何よりも民主主義にあります。
差別と抑圧をしない民主主義が、文化芸術の創意力と自由な想像力に翼を与えてくれました。
初の民主政府だった金大中政府は、自信感を持って日本の文化を開放しました。
私たちの文化芸術は多様さの中で力を育て、むしろ日本文化を圧倒するほどの競争力を持つようになりました。
イギリスの月刊誌<モノクル>は、私たちのソフトパワーをドイツに次ぐ世界2位に選定しました。
私たちの文化芸術の魅力が、私たちの国際的な地位を大いに高めているという事実を、私は歴訪外交のたびに確認することができました。
「支援するが干渉しないこと」は歴代の民主政府が立てた確固とした原則です。
創作と表現の自由は民主主義の中で広がり、強くなります。
私たちの民主主義が前進を止めないのならば、私たち文化芸術は絶えず世界を感動させるでしょう。
私たちに大きな誇りを与えている文化芸術家たちと、文化芸術を大事にする国民たちに、限りない敬意を表します。
国民の皆さん、
コロナ危機の中、国際秩序が揺れ動いています。
デジタルとグリーンにおける革新が加速するにつれ技術競争が熾烈に展開されています。
力で覇権を得ようとする自国中心主義もまた頭をもたげています。
新冷戦の憂慮も大きくなっています。
しかし私たちには暴力と差別、不義に抗い覇権的な国際秩序を拒否した3.1独立運動の精神が流れています。
大韓民国は世界10位の経済大国、グローバル輸出7位の貿易強国、総合軍事力世界6位、革新指数世界1位の堂々たる国となりました。
3.1独立運動の精神が今日の私たちに与える教訓は、強大国中心の国際秩序に振り回されず
私たちの歴史を私たちがリードしていく力を持たなければならないというものです。
私たちは今、危機を機会に変え新たに跳躍しています。
新型コロナ危機の真っ只中から始まった韓国版ニューディールは、世界を先導する大韓民国の未来戦略となりました。
デジタルとグリーンニューディールで新しい産業を興しより良い雇用を創出しています。
ヒューマンニューディールにより雇用安全網と社会安全網を拡充し、地域均衡ニューディールで国家均衡発展時代を開き、革新的包容社会へと確実な転換を始めました。
経済が安全保障である時代に、グローバル供給網の困難も乗り切ろうとしています。
世界最高の競争力を備えた、私たちの半導体とバッテリー産業がグローバル供給網を主導しています。
今や私たちには多者主義に立脚した連帯と協力を先導できる力量が生まれました。
G7首脳会議に2年連続で招待されるほど位相が高くなりました。
ASEANを中心とした新南方政策、
ユーラシア諸国との新北方政策、
中南米と中東まで拡大した外交へ
経済協力や外交・安保の地平を広げました。
世界最大のFTA、RCEPが先月発効したことで、私たちは世界GDPの85%に達するFTAネットワークを備えるようになりました。
私たちの経済領域がそれだけ広くなったということです。
私たちがより強くなるために必ず必要なものが韓半島の平和です。
3.1独立運動には南と北がありませんでした。
様々な勢力が臨時政府で共になり、左右を統合する連合政府を打ち立てました。
抗日独立運動の大きな流れは民族の大同団結と統合でした。
臨時政府の傘下でついに一つに統合された光復軍は、抗日独立運動史に輝く足跡を残しました。
1945年11月、故国に戻った臨時政府の要人たちは分断を防ぐために最後の力を注ぎました。
その終わらない努力は、これからは私たちの役目となりました。
あの時の、3.1独立運動の熱望のように、あの日の名も無き主役たちの息子と娘の中で統一を念願する歓声が蘇るでしょう。
まず私たちが成し遂げるべきは、平和です。
韓国戦争(朝鮮戦争)とその後、私たちが経験した分断の歴史は、対決と敵対ではなく対話だけが平和をもたらすという事実を教えてくれました。
文在寅政府は発足当時の北朝鮮の核危機の中で劇的な対話を通じて平和を成し遂げることができました。
しかし、私たちの平和は脆弱です。
対話が途切れたからです。
平和を持続させるため、対話の努力が続けられなければなりません。
戦争の暗雲の中で平昌冬季五輪を平和五輪にすることを夢見たように、
私たちが意志を失わなければ、対話と外交を通じ、韓半島の非核化と恒久的な平和を必ず成し遂げることができます。
私たちは100年前の苦痛を決して繰り返しません。
平和を通じ民族の生存を守り、民族の自尊を高め平和の中で繁栄していきます。
韓日両国の協力は、未来世代のための現世代の責務です。
韓国の祖先は3.1独立運動宣言で「古い恨み」と「一時的な感情」を克服し、東洋の平和のために共にしようと日本に提案しました。
今の私たちの気持ちも同じです。
様々な困難が多い今、近い隣人である韓国と日本が「いっとき不幸だった過去の歴史」を乗り越え、未来に向けて協力できなければなりません。
韓日関係を超えて、日本が先進国としてリーダーシップを持つことを心から願います。
そのために日本は歴史を直視し、歴史の前で謙虚にならなければなりません。
「いっとき不幸だった過去」により時々痛む隣国の国民の傷に共感できる時、日本は信頼される国になるでしょう。
私たち政府は地域の平和と繁栄はもちろん、コロナと気候危機、そしてサプライチェーンの危機と新しい経済秩序に至るまで、
そしてグローバルな課題への対応に共に取り組むため、常に対話の扉を開いておくでしょう。
尊敬する国民の皆さん、
海外同胞の皆さん、
私たちは大韓民国臨時政府で活躍された方々を臨時政府の要人と呼んできました。
臨時政府の要人という単語には、私たち子孫の尊敬が込められています。
今まで韓国国民はみな経済発展と民主主義の主役として活躍し、それぞれの場所で大切な人になりました。
今、私たちは先導国家という新しい大韓民国を目指し出発しました。
その道では国民一人一人が臨時政府の要人と同じです。
皆がパイオニアであり、皆が重要な使命を持っています。
もう誰も大韓民国を揺さぶることはできません。
もう誰も国民主権を奪うことはできません。
もう誰も一人の人生を疎かにすることはできません。
ここ、大韓民国臨時政府記念館は、平凡さが成し遂げた偉大な大韓民国を記憶しながら、国民たちには常に勇気と希望の道しるべとなるでしょう。
独立の熱気で熱く燃え上がった1919年の春、苦難と栄光の道を堂々と歩み、
ついに私たち皆の偉大な歴史になった先烈たちに深い尊敬の念を捧げます。
ありがとうございます。